
本日は小学校入学までのお話の後編です!
3歳期
この3歳期前後が一番大変な時だったような気がするようなしないような、、すみません、やっぱり記憶が微妙に曖昧です😅
この頃になると周りのお子さんが発語したりオムツが取れたり、赤ちゃんから子供に成長していく様子になってきました。
一方我らがshiro君は自閉症特有の行動が顕著に現れるようになりました。
ルーチン、常同行動、迷信行動へのお付き合いで心身ともにズタボロになったような気がします。
公園に行けば決まった遊具を決まった順序で決まったようにこなすサーキット遊び。他の遊具が空いていても順番通りの場所に他の子供がいればずっと待っているため、待たれる子供がビビりまくる。
1日2回のお散歩がルーチンになり、どんな悪天候でも決行。しかも本人は雨に濡れるのが死ぬほど嫌いなため召使い(ママのこと)がびしょ濡れになりながらベビーカーを押すスタイル。
コンビニが目につけば必ずアルフォートを買う、しかしあくまでルーチンの一環なだけなので本人的に食べたいわけではない。お散歩中5軒中5軒でこれを行う😢
電車が大好きなため、駅の改札を必ずくぐろうとして止められ床に大の字になり号泣。仕方なく入場すると無限に電車を見送りインフルエンザに感染。(ただこの時もらった電車の写真カードのおかげで、でんしゃ、だけ自ら発語するように。電車以外のものを見ても「でんしゃでんしゃでんしゃでんしゃ、、、」と無限に呟いててより一層不気味な感じを演出することに💦)
体操教室では無限にドアを開閉し続け先生に驚かれたり、指示なども分からないため他に沢山お子さんはいるもののshiro君のみ先生が特別待遇でおもてなし。
などなど、ちょっと思い出したら吐きそうになってきたのでこのくらいにしときます😅
無発語の自閉症児のお相手は本当にハードです。「アッアッ」で全てを訴えてくるので可愛らしいのですが、どんなにこちらが疲弊していても同じテンションで「アッアッ」が無限に続くため時々こちらもイライラが爆発しそうに、、しかし、イライラのイラくらいで号泣(ママの怒りには敏感)されるため、イライラしたことすら後悔する羽目に😅
ただ、この頃本当に大変だったのはshiro君ではなく、ブラック地域との戦いでした。
当時住んでいたエリアは子供を通わせられる幼稚園は公立1校のみで私立など選択肢がゼロのエリアでした。なので選びようもなく地域の幼稚園に行ったのですが、、この幼稚園がブラック幼稚園だったんですよね。
加配の先生もつけてはもらってその方はすごく良かったんですが、いかんせんパート勤務で権力がない先生でしたし、あるあるの加配のはずだけど実際はクラス全員のサポートってやつでした。そして園長はじめとするこの幼稚園の権力中枢にいる職員が酷かった、、とにかく知識不足、というか子供に興味がないんでしょうね。「子供に囲まれてる自分がスキ」レベルの園長と大バトルを繰り広げ、最終的に3カ月で退園しました。
子供に障害があると加配などの問題で地域の学校しか基本選択肢がないわけですが、この地域の地域格差が大きい!
この地域では結局受給者証も療育手帳も取得させて貰えませんでした。キチンと申請しにいったのですが、窓口の時点で「どうせ通らないから申請受け付けない」と対応されたんです。かなり財政が乏しい地域で、療育施設も1箇所しかなく、その施設でやっている療育の内容もおままごと程度というかまあ療育と呼べるレベルに達した代物ではなかったです。知人のお子さんは重度障害で支援学校入学を断られていました。定員の問題でした。
この地域に住んでいる必然性もなかったですし、引っ越すことを決意。
この頃、佐久間徹先生の著書でフリーオペラントを知り、フリーオペラントを受けられる関西の別のエリアに逃げ出しました。
引っ越し先では障害児支援受給者証もその地域の最大日数を転入届提出時に取得できました。
療育手帳の方も、この地域の子供家庭センターで判定を受けることにより取得することができました。ちなみに療育手帳の判定基準は地域毎に異なります。この地域ではセンターでママと判定員との面談が行われ、その間にshiro君が別室で新版K式発達検査を受けた結果の総合で判断されました。面談から数ヶ月で療育手帳が発行されました。判定としては軽度知的障害でした。知的障害の85%は軽度とのことなので妥当だったのかも知れませんが、ママからすると中度じゃないの?ってことが若干驚きでした。言語面だけみると中度なんですけど、自閉症の場合他の領域が高めになりがちということで軽度判定となりました。
実施時3歳8カ月
姿勢・運動:83
認知・適応:68(描写課題が理解できない)
言語・社会:44(語彙は興味あるもののみ指差し可能)
全領域:59
言語が有意に低い(自閉症の特徴)です。
4歳期
引っ越して無事に療育園も見つけることができ、手帳も取得してほっと一息。
幼稚園でのトラウマもあり、週5で民間の療育園に通う毎日となりました。
療育園は、PECS特化、運動特化、フリーオペラント、預けることが目的の療育というよりほぼただの幼稚園なところ、脳科学系の通算5つ行きました。
全てベビーカーで送迎でした。今から振り返るとよくできたなあ、って感じです。自閉症特有のさまざまなこだわり行動に振り回されながら時間通りに子供を通園させるのは半端なく大変でした。
この4歳期はコロナパニックの最中だったんですが、我が家にとってそれより何より大事件だったのは火事です。
電化製品の不良で外出中に家が全焼しました。買ったばかりのマイホームが😢
(このブログはあくまでshiro君メインなのであまり深くは触れません。)
引っ越して半年で仮住まいにまた引っ越しです。
パパママは心身ともにボロ雑巾のようになりました、、が!!
このことがshiro君を覚醒させたのです!!!
泣き崩れるパパママの姿が衝撃だったのかな。この頃のshiro君はママを慰めてくれようとする素振り(気のせい?)が増えました。そして仮住まいである日急に「ママしゅき」と言ってくれたのです。
パパとお風呂タイムに教え込まれたようですが、それまでは一度たりともママと言うことはなかったshiro君が!
時を同じくして急にエレベーターのボタンの数字を「いち、に、さん」と数えたり「パパ」と言うこともできるようになったり。
本当に何の前触れもなく発語するようになったのです。
療育園でも「言語爆発というのを初めて見て感動しました」と皆に言われる状況でした。
表情も急に豊かになり、別人のようになったshiro君の変身ぶりにはただただ圧倒されました。
5歳期
言語を獲得して別人のようになったshiro君。
同年代の定型発達のお子さんのように話すようになったわけではもちろんありませんが、無発語から無発語系になった違いは以前を知る保護者には大きかったです。
びっくりするほどルーチンやこだわり、迷信行動、常同行動が減りました。ママのストレスも激減です!
以前はさせなかった傘がさせるようになったり、雨でも平気になったり、濡れても多少我慢できたり、電車の見送りも10分くらいで済んだり、こんな楽になっていいのか!くらい感動的に負担が減ってゆきました。
火事の修繕も終了し、仮住まいから再度マイホームに引っ越しました。(結局このマイホームとは就学に伴いサヨナラすることに。なんか引っ越してばかりですね😅)
ここまでは「就学先は支援学校一択だよなあ」と支援学校メインに探していたのですが、信頼する先生に支援学級を勧められたこともあり、就学先も軌道修正しました。
で、以前にブログで紹介した学校見学へとつながるわけです。
5歳期の最後には再度発達検査を受けました。
実施時5歳8カ月
姿勢・運動:41(ケンケンができず)
認知・適応:79
言語・社会:68
全領域:72
2歳7カ月で出来なかったケンケンはまだ克服できてませんでした😅

shiro君覚醒で脱ブラック育児することができました。頼りないママだったことが逆に良かったのか!?俺の人生任せられない、目覚めねばと思ってくれたのか!?とにかくありがとうshiro君!
次回は「小学1年生の会話がめちゃくちゃ興味深い件」です。よろしくお願い致します!
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